完全弛緩の感覚が命
アレクセーエフ著『音楽作品の研究』には、このようなことが書かれています。
『われわれが「自由」と呼ぶものは、筋肉のあらゆる緊張がとれた状態でなく、運動の妨げになる余分な
緊張がとれた状態である』。
これは実際には分りにくく、運動感覚でいくと、力の抜き方、腕の使い方、ということになります。
しかし本当は、その必要な緊張とは動きが作るものではなく、頭の命令が作るものであり、音への要求によって、自然に肉体が反応する緊張なのです。
そしてそれは、完全弛緩であるからこそできることなのです。
ピアノの演奏で絶対に必要なことは、完全弛緩の感覚を失わせてはならない、という一語に尽きる、といっても過言ではありません。
完全弛緩であるからこそ、指先に意識をもつくことができ、手、腕、は自由にはたらけるのです。
頭の命令のままに、生きた機械のように、巧妙に、迅速に、目的を果たせるのです。
技術が先に立つと上記のような言葉となり、それは非常にむずかしく、とくに練習途上の学生には解らない言葉となります。
完全弛緩のもと、頭が先行していけば、その緊張は自然に得られることで、音楽を考えることによって解決していくのです。
ピアノは完全弛緩であったならば、心の欲するさまざまな音質、音色が、指先の微妙な触覚によって鍵盤に直通していき、自分の心が直接ピアノに移ったかと思われるほど、深く感情移入することができます。
また、いっさいの暴力的なものなしに、腕全体を使った呼吸による音、最大のヴォリューム・大地のごとく太い音をも出すことができるのです。
そして、すべての音は、意識の中にとらえることができます。
意識された音は透明度が高く、気品があり、動きは繊細に、演奏は精神的になります。
動きから入った人は、すべての音を意識する、などのことは不可能だと思っているようですが、これは、入り方の違い、頭の使い方の違いによるのです。
そしてこの方法だと、どんなにらくに心にかなった演奏ができ、自分で音楽を再創造していく喜びに心が満たされるか分らないのです。